吹奏楽の定番マーチ「アルセナール」を社会人でもう一度演奏したい理由
公開日:2026.04.08 更新日:2026.03.27クラシック楽器音楽のマナビ楽曲・アーティスト紹介
吹奏楽の世界において、時代を超えて愛され続ける名曲は数多く存在しますが、ベルギーの作曲家ヤン・ヴァン=デル=ローストによって書かれた行進曲「アルセナール」ほど、吹奏楽経験者の心を掴んで離さない楽曲は稀でしょう。中高生時代にコンクールの課題曲や自由曲、あるいは演奏会のオープニングとしてこの曲に触れた経験を持つ人は多いはずです。しかし、社会人となり、人生の経験を積んだ今だからこそ、この「アルセナール」という楽曲をもう一度演奏することには、技術的な習熟を超えた、深い意義があります。
目次
1. ベルギーから届いた「イギリスの気品」 楽曲の出自と背景
「アルセナール」は1995年、ベルギーのメヘレンにある鉄道工場の吹奏楽団「アルセナール吹奏楽団」の創立50周年を記念して委嘱されました。この背景を知るだけでも、単なる「行進のための音楽」ではなく、「祝典」としての重みがあることが理解できます。
特筆すべきは、ベルギー人作曲家によって書かれながら、その作風が極めて「イギリス式コンサート・マーチ」の伝統に忠実である点です。エドワード・エルガーの「威風堂々」やケネス・アルフォードの行進曲に見られる、高貴で格調高いスタイルを継承しており、ドイツ式の厳格さやアメリカ式の華やかさとは一線を画す、優雅かつシンフォニックな響きが最大の特徴です。
2. 構造美と緻密なスコアリングの魅力
「アルセナール」がなぜこれほどまでに美しく響くのか。その理由は、計算し尽くされた楽曲構造と対旋律の豊かさにあります。
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華やかな導入部
冒頭のファンファーレは、聴衆を一瞬にして祝祭の世界へと引き込みます。ここで求められるのは、単なる音量ではなく、輝きを伴った音の密度です。
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歌い上げる主旋律とユーフォニアムの役割
この曲の白眉は、低音金管楽器、特にユーフォニアムが奏でる美しい対旋律です。主旋律が朗々と流れる裏で、内声部が複雑かつ叙情的に絡み合う構造は、吹奏楽編成の持つ色彩感を最大限に引き出しています。
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トリオ(中間部)の崇高な祈り
転調を経て現れるトリオ部分は、一転して抑制された美しさが際立ちます。金管楽器のミュート奏法や木管楽器の繊細な動きは、大人の音楽的感性が最も試される場面です。
3. 吹奏楽マーチの歴史的系譜における位置付け
吹奏楽の歴史において、マーチは軍隊の歩進を助ける実用音楽から、コンサートホールで鑑賞するための芸術音楽へと進化を遂げました。「アルセナール」はこの「コンサート・マーチ」というジャンルの完成形の一つと言えます。
19世紀の軍楽隊様式を基盤としつつ、20世紀後半の高度な和声感覚を融合させたこの曲は、単にリズムを刻むだけではなく、オーケストラのような「響きの層」を構築することを要求します。かつて「速く、元気に」演奏することに終始していた学生時代とは異なり、社会人奏者はこの歴史的文脈を理解した上で、一音一音に「重みと気品」を込めることができるのです。
4. なぜ「社会人」が今、この曲を演奏するのか
社会人が「アルセナール」を再演する最大の理由は、技術の誇示ではなく「大人の余裕」にあります。
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余裕が生む「風格」
学生時代には余裕がなくて吹き飛ばしてしまったパッセージも、経験を積んだ今なら、その一音に込められた和声の移ろいを感じ取ることができます。拍子の中に生まれる絶妙なタメや、フレーズの終わりの処理など、大人の知性が音楽に深みを与えます。
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共通言語としての存在
「アルセナール」は、世代や出身校を問わず、吹奏楽経験者の多くが知っている楽曲です。初対面のメンバーが集まる社会人バンドや合同演奏会において、この曲は言葉を介さないコミュニケーションツールとなります。各々がかつての記憶を思い出しつつ、現在の自分たちのフィーリングで再構築、新たな集団で音の共有をするプロセスは、社会人音楽活動の醍醐味そのものです。
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完成することのない探究心
この曲は「演奏しやすい」部類に入りますが、「完璧に演奏する」ことは極めて困難です。完璧なピッチ、完璧なバランス、そして完璧な気品。シンプルだからこそ誤魔化しが効かないこの楽曲は、生涯をかけて音楽を追求する社会人にとって、常に新しい発見を与えてくれるベンチマークなのです。
結びに代えて
「アルセナール」を演奏することは、自らの音楽人生を肯定し、新たな高みへと歩み出すための儀式に他なりません。今こそ、その洗練された旋律に身を任せ、大人にしか奏でられない最高のマーチを作り上げていきませんか。
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この記事の監修者
鈴木 憲道 音楽ライター/作詞家・作曲家・演奏家・音楽教育者
国公立大学の音楽学部で作曲を学ぶ。


