ポール・フォーシェ《吹奏楽のための交響曲》の正体
公開日:2026.08.04 更新日:2026.08.01吹奏楽音楽のマナビ楽曲・アーティスト紹介
クラシック系の作曲や和声を学んだ人にとって、「フォーシェ」という名前は少々身構えてしまう存在かもしれない。
与えられたバスやソプラノに対して、禁則を避けるだけでは到底足りない。内声を美しく動かし、転調を準備し、倚音や掛留を処理し、旋律線としても不自然にならない四声体を組み立てる――。フォーシェの『40の和声課題』などは、現在も和声実施の研究対象として扱われている。
そんな“激辛和声課題”の作者が、実は約27分に及ぶ本格的な吹奏楽曲を書いている。
それが、1926年の《吹奏楽のための交響曲》である。
「課題集では、あれほど細かく声部を管理させる人物が、数十人の管楽器を相手にしたら、いったいどんな音楽を書くのか」
この作品の面白さは、まさにそこにある。
目次
「ハーモニーのための交響曲」ではない
フランス語の原題は、
Symphonie pour Musique d’Harmonie
である。
直訳すると「ミュジック・ダルモニーのための交響曲」。ここでいう musique d’harmonie は、和声学やハーモニーそのものを意味するのではなく、木管・金管・打楽器からなるフランス式の吹奏楽団、特に軍楽隊型の大編成を指す。
したがって、これは「和声のための交響曲」ではなく、端的にいえば吹奏楽団のための交響曲である。
アメリカでは《Symphony in B-flat》、日本では《交響曲 変ロ長調》あるいは《吹奏楽のための交響曲》として知られている。全4楽章、演奏時間は版によって約27~29分。20世紀前半の吹奏楽作品としては、きわめて早い時期に書かれた大規模な交響曲である。
ポール・フォーシェとは何者だったのか
ポール・ロベール・マルセル・フォーシェは、1881年生まれ、1937年没のフランスの作曲家、オルガニスト、教育者である。
パリ音楽院で学び、対位法とフーガ、オルガン、ピアノ伴奏などで優秀な成績を収めた。その後は教会オルガニストや合唱指揮者として活動し、1927年から没年までパリ音楽院の和声科教授を務めた。『40の和声課題』『50の和声課題』などの教育作品を出版し、後世には作曲家というより、むしろ和声教育者として名前を残している。
興味深いのは、《吹奏楽のための交響曲》が発表されたのが1926年、フォーシェがパリ音楽院の和声教授に就任する前年だということである。
つまりこの作品は、著名な和声教授が余技として書いたものというより、オルガニスト、合唱指揮者、対位法家としての経験をすでに蓄積していたフォーシェが、自身の作曲技法を大規模な管楽合奏へ投入した作品と見る方が適切だろう。
なぜこの曲は作られたのか
この作品について最も注意したいのは、作曲の経緯を証明する確実な記録が、現在のところ確認されていないことである。
一般には、ギヨーム・バレーが指揮していたパリのギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団、すなわちフランス共和国親衛隊の吹奏楽団のために作曲され、同団によって1926年に初演されたと説明されることが多い。
しかし、フォーシェ自身の文章、委嘱状、初演プログラムなど、作曲目的を直接証明する一次資料は発見されていない。研究者シャノン・カイトリンガーも、「同団のために作曲・初演された」という説を紹介しながら、確実な初演記録が見つかっていないことを指摘している。
それでもギャルド・レピュブリケーヌとの関係が有力視される最大の理由は、1926年版の特殊な編成が、当時の同団の編成とほぼ一致するからである。
現代の吹奏楽では通常使われないプティ・ビュグル、複数のアルト・サクソルン、バリトン、バス、コントラバス・サクソルンなどが大量に要求される。一般的な市民バンドのための汎用作品というより、特定の巨大なフランス式軍楽隊を念頭に置いた作品と考える方が自然である。
したがって、現時点で最も慎重な言い方をするなら、
ギャルド・レピュブリケーヌから正式に委嘱されたかどうかは不明だが、その編成と演奏能力を想定して書かれた可能性は非常に高い
ということになる。
1926年に、なぜこれほど保守的なのか
1926年という年代から、ドビュッシー以後の印象主義的な響きや、ストラヴィンスキー、フランス六人組のような鋭い新古典主義を想像すると、少し肩透かしを受けるかもしれない。
この交響曲の基本語法は、明確な調性、機能和声、旋律と伴奏、主題の対比、ソナタ形式や三部形式といった、19世紀以来の枠組みに立っている。様式的には同時代の前衛よりも、サン=サーンスやヴァンサン・ダンディに近い、保守的なフランス後期ロマン派と説明される。
ただし、「保守的」は「単純」という意味ではない。
フォーシェの魅力は、突飛な和音を次々に並べることではなく、各声部の進行を精密に制御した結果として、和音が自然に変色していくことにある。
掛留、倚音、経過音、半音階的な内声、借用和音、属音上の長い緊張、旋法的な音使い。個々の材料は伝統的であっても、声部の重なり方が非常に緻密である。
和声課題の模範解答と共通するのは、「珍しいコードを使ったから美しい」のではなく、そこへ至る準備と、そこから離れる解決が美しいという感覚である。
各楽章を聴く
第1楽章 序曲 Maestoso – Allegro, très décidé
変ロ長調。荘重な序奏を備えたソナタ形式である。
冒頭から聞こえてくるのは、和声課題集の神経質なイメージとは正反対の、堂々としたフランス軍楽隊の響きだ。しかし、その重厚さを支えているのは、単純な全楽器ユニゾンではない。
クラリネット群、サクソルン群、トロンボーン群がそれぞれ異なる位置で和音を支え、旋律を別の声部へ受け渡していく。旋律・内声・低音という役割が固定されず、オルガンのストップを切り替えるように音色が変化する。
主部に入ると、付点リズムを伴う決然とした楽想と、より歌謡的な楽想が対照を作る。金管の英雄的な響きだけでなく、木管と中低音金管が作る柔らかな接続部に注目すると、フォーシェの和声家としての耳がよく分かる。
第2楽章 夜想曲 Lentement
ト短調を中心とし、ドリア旋法的な色彩を持つ三部形式。
「和声家フォーシェ」を聴くなら、まずこの楽章だろう。
派手な効果は抑えられ、クラリネット群を中心とする静かな響きの中で、内声が少しずつ動く。短調の陰影の中にドリア旋法の明るい第6音が差し込み、完全な悲劇にも、甘いロマンティシズムにも傾かない独特の夜の色を作る。
重要なのは、旋律だけを追わないことである。
ある音が和音の構成音として始まり、次の瞬間には掛留音となり、その解決音がさらに次の和音への経過音になる。縦に切れば複雑な和音に見える部分も、横方向に聴くと、それぞれの声部が自然に歌っている。
なお、後年のアメリカ版では、原曲冒頭のクラリネット群による旋律がホルン独奏へ変更されている。単なる代替楽器の指定ではなく、作品の音色設計そのものを変える編集であるため、版による印象の違いが最も分かりやすい箇所の一つである。
第3楽章 スケルツォ Vif, gai, très léger – Trio, pastoral
変ロ長調、三部形式。「速く、陽気に、非常に軽く」、中間部は「田園的に」と指定されている。
ここではフォーシェの別の一面が現れる。
細かい音型を木管とサクソフォンが軽快に交換し、金管も重量ではなく反応速度を要求される。重厚な第1楽章や静かな第2楽章とは異なり、アーティキュレーションの精度が音楽の生命線になる。
中間のトリオでは響きが柔らかくなり、ビュグルやサクソルン系の円みを帯びた音色が生きる。近代的な打楽器効果で場面転換するのではなく、同じ音高材料をどの楽器群に置くかによって光の当たり方を変える。このあたりにも、オルガニスト的な「音栓の発想」を感じることができる。
第4楽章 終曲 Allegro vivace/Allegro militaire
変ロ長調。展開部を欠いたソナタ形式と分析される。
題名に militaire とある通り、軍楽的な推進力を前面に出したフィナーレである。
ただし、単純な行進曲ではない。主題を提示し、調性を移し、複数の楽器群を組み替えながら再現へ向かう。展開部を大きく設けない代わりに、提示された素材がオーケストレーションと和声の変化によって拡大されていく。
最後には、トランペット、コルネット、ビュグル、アルト、バリトン、バスという性格の異なる金管群が一体となる。
鋭い金管の上に柔らかな金管を重ねるのではない。明るさ、丸さ、密度、遠近感の異なる複数の金管合唱を組み合わせ、巨大な一つの響きを作る。ここが現代の「トランペット+ホルン+トロンボーン+ユーフォニアム+チューバ」だけでは完全に再現しにくい、この曲固有の魅力である。
原典版の編成
1926年版は各楽章が別々に出版されており、楽章によって使用楽器に多少の差がある。以下は各楽章を通算した総編成である。
木管
フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コール・アングレ、ファゴット2。クラリネットはソロ・クラリネットの分割、複数のB♭クラリネット、E♭クラリネット、アルト・クラリネット、バス・クラリネット。サクソフォンはアルト2、テナー2、バリトン2。
明るい金管
コルネット2、トランペット群。
柔らかい金管・サクソルン群
B♭ビュグル2、E♭プティ・ビュグル、ホルン、E♭アルト・サクソルン3、バリトン2、バス2、E♭およびB♭のコントラバス系楽器。
その他の金管
トロンボーン4。
低音・打楽器
コントラバス、ティンパニ、スネアドラム、バスドラム、シンバル、トライアングル、ベル系打楽器。
編成上特筆すべき点
この編成で特に重要なのは、トランペット、コルネット、ビュグルを別々に置き、さらにホルンとは別にアルト・サクソルン群を持つ点である。
現代の吹奏楽では、これらのパートをトランペット、フリューゲルホルン、ホルン、ユーフォニアム、チューバへ集約することが多い。しかし、それでは音域は埋められても、原曲の音色階層は変わってしまう。
この作品では、サクソルン群は不足した音を補うための脇役ではない。クラリネット群と並び、和声の中身を作る中心的な存在なのである。
出版社と、現在入手できる版
1926年初版
初版はパリのÉditions Musicales Buffet-Cramponから出版された。版面や著作権表示には、同社と関係の深いEvette & Schaefferの名称も現れる。
出版されたのは各楽器のパート譜と、数段にまとめられた移調コンデンススコアであり、作曲者による通常のフルスコアは作られなかった。各楽章も一冊の交響曲としてではなく、別々に刊行されていた。自筆の総譜も現存が確認されていない。
アメリカ版
第1・第4楽章はジェイムズ・ロバート・ジレット、第2・第3楽章はフランク・キャンベル=ワトソンによってアメリカ式編成に改編され、M. Witmark & Sonsから1934年、1948年、1949年に順次出版された。
この版ではサクソルン群が整理され、ホルン、ユーフォニアム、チューバなどへ置き換えられている。一方で、単なる置換にとどまらず、旋律担当やヴォイシングにも変更が加えられている。長年アメリカや日本で広く演奏されたのはこちらの系統である。
現在、Martin Musique/Éditions Robert Martinから、方向性の異なる二つの版が刊行されている。
一つはミゲル・エチェゴンセライ校訂による「1926年原典版・サクソルン入り」。散在していたコンデンススコアとパート譜からフルスコアを再構築し、トランペット、コルネット、ビュグル、アルト、バリトンなど、当初の金管編成を残している。商品番号はFAUC04987系、演奏時間は出版社表示で26分55秒である。
もう一つはフェリックス・ハウスヴィルト校訂による現代国際編成版。ビュグルやアルト・サクソルンを省き、クラリネットのパート数を整理し、ホルンを4パート、ユーフォニアムを1パートとするなど、現代の吹奏楽団で演奏しやすい形に変更されている。出版社は、編成を変えながらも原曲の音響構想に可能な限り忠実であることを目指したと説明している。
演奏を企画する際は、「フォーシェの交響曲」とだけ確認するのではなく、どの校訂版を使用するのかを最初に確認する必要がある。
アメリカ初演をめぐる奇妙な逸話
この作品の出版史には、吹奏楽史上でもかなり風変わりなエピソードがある。
1930年代初頭、ジレットが入手できたのは、第1楽章と第4楽章の楽譜だけだった。しかし彼は作品を早くアメリカで紹介したいと考え、その間に自作の緩徐楽章を挿入して、3楽章の「フォーシェの交響曲」として演奏した。
しかも、その中間楽章がフォーシェの作品ではないことは、当時のプログラム上では明示されなかったという。後にこの曲は《Vistas》というジレット自身の作品として出版された。
後からフォーシェ本来の《夜想曲》《スケルツォ》が発見・出版されたため、作品はようやく本来の4楽章構成を取り戻した。
原典のフルスコアが存在せず、各楽章のパート譜が散在していたことが、こうした混乱を招いたのである。
これは本当に「交響曲」なのか
各楽章の名称は「序曲」「夜想曲」「スケルツォ」「終曲」であり、標題だけを見れば組曲のようにも思える。実際、過去の版の解説には「厳密には交響曲ではなく、4曲からなる組曲である」とする記述もあった。
しかし、緩急の配置は伝統的な4楽章交響曲に対応し、第1楽章と終楽章にはソナタ的な構想がある。調性も変ロ長調を中心に統一され、約30分の規模を持つ。
「楽章名が標題的だから組曲」と割り切るよりも、フランス軍楽隊のために、管弦楽の交響曲に匹敵する規模と論理を与えようとした作品と見る方が、その歴史的な意味を理解しやすい。
和声課題集のフォーシェは、吹奏楽でもフォーシェだった
この曲を聴いても、意外なほど「難解な現代音楽」は出てこない。
旋律はよく歌い、調性は明確で、終楽章は堂々と変ロ長調へ帰着する。
それでも、一度フォーシェの和声課題を経験した人なら、伴奏の内側で動く声部、解決をわずかに遅らせる音、同じ和音を別の音色へ受け渡す方法に、あの課題集と同じ美意識を感じるはずである。
フォーシェにとって和声とは、難しい和音のカタログではなかった。
一つ一つの声部を自然に歌わせた結果として生まれる、響きの立体感だった。
《吹奏楽のための交響曲》は、その原理を四声体の課題用紙から解放し、クラリネット、サクソフォン、ビュグル、サクソルン、トロンボーン、コントラバス、打楽器へと拡張した作品である。
言い換えればこれは、フォーシェの和声実施を、巨大なフランス式吹奏楽団で鳴らした音楽なのかもしれない。
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この記事の監修者
鈴木 憲道 音楽ライター/作詞家・作曲家・演奏家・音楽教育者
国公立大学の音楽学部で作曲を学ぶ。


