「これ、本当にマーチか?」——癖強(くせつよ)行進曲の系譜
公開日:2026.08.05 更新日:2026.08.01吹奏楽音楽のマナビ楽曲・アーティスト紹介
吹奏楽経験者なら誰しも、合奏中に一度はこう思った瞬間があるはずです。
「……待って、このマーチ、兵隊歩けなくない?」
スーザやアルフォードに代表される王道のマーチは、聴く者の心を昂ぶらせ、足を自然と前へ進ませてくれます。しかし、日本の吹奏楽界(特に全日本吹奏楽コンクールの課題曲史)には、そうした「実用的行進曲」の概念を根底から揺るがす、一癖も二癖もある“異形の名マーチ”が定期的に降臨してきました。
「あの頃の尖りに尖ったマーチは熱かったなぁ……」と遠い目をするオールドファンも多いことでしょう。しかし実は今、近年の若手作曲家たちによって、その「癖強マーチ」の遺伝子がまったく新しいセンスで鮮やかにアップデートされているのをご存じでしょうか。
今回は、吹奏楽史に刻まれた伝説の怪作から、思わず「ああ~いいっすねぇ、やりますねぇ!」と膝を打つ近年の注目作まで、個性あふれるマーチを5曲厳選して深掘りします。
目次
1. ガウディの迷宮、行進させる気ゼロの超芸術
マーチ「カタロニアの栄光」/ 間宮芳生(1990年課題曲Ⅳ)
まずは平成初期の吹奏楽界を大いにざわつかせた伝説の一曲から。スペインの建築家アントニ・ガウディと彼の作品(サグラダ・ファミリアなど)に捧げられた本作は、「課題曲史上、最も歩きにくいマーチ」との呼び声も高い異端作です。
一般的なマーチのような明快な「1・2、1・2」という整然としたビートは影を潜め、リディア旋法などの独特な音階と変拍子が錯綜します。まるでサグラダ・ファミリアの歪んだ曲面や曲がりくねった柱の間を迷い込んだかのような、異国的で不気味なほどの美しさ。
「マーチ」というフレームを借りて現代音楽の美学をぶつけ直した間宮氏の挑戦は、今聴いてもまったく色褪せない強烈なインパクトを残しています。
2. ファラオ降臨!漆黒の重厚スペクタクル
行進曲「ラメセスⅡ世」/ 阿部勇一(1995年課題曲Ⅰ)
古代エジプトの偉大な王「ラメセス2世」の名を冠したこの曲は、第5回朝日作曲賞最優秀賞に輝いた阿部勇一氏の出世作です。
イントロから鳴り響く重厚な低音のうねりと、中東風のオリエンタルな音階。爽やかさや明朗さとは対極にある「怪しさと威厳」が全編を支配します。途中、まるで砂漠を渡るキャラバンや古代の巨大な神殿が眼前に現れるかのような劇的な展開を見せ、「マーチを吹いていたはずなのに、気づけば巨大な映画音楽のど真ん中に放り出されていた」という感覚に陥ります。
重厚なブラスセクションと怪しげな木管の絡み合いは、当時のコンクール会場を独特の緊張感で包み込みました。
3. アラビアの夜風と、艶やかなベリーダンス
ナジム・アラビー / 松尾善雄(2007年課題曲Ⅴ)
ポップス・マーチの巨匠として知られる松尾善雄氏が、高難易度曲が揃う「課題曲Ⅴ」の枠で放った異色作。「アラビアの星」を意味するタイトル通り、『アラビアン・ナイト』の世界観を表現したファンタジックかつ野心的なマーチです。
何と言っても圧巻なのは中間部(トリオ)。松尾氏自身が「ベリー・ダンスのイメージ」と語る通り、妖しく艶やかな旋律が奏でられます。そして後半にかけては打楽器を中心とした野性的なビートが押し寄せ、まさに砂漠の夜宴のごとき盛り上がりを見せます。
吹奏楽の伝統的な行進曲形式を守りつつも、これほどまでに色彩豊かで妖艶な世界観を表現できるのかと、当時の奏者たちを狂喜させました。
── 「あの頃はよかった」? いやいや、近年もやりますねぇ!
こうした往年の名作を振り返ると、「やっぱり昔の課題曲は個性が尖っていて面白かったな……」とノスタルジーに浸りたくなります。しかし、最近の若手・現代の作曲家たちも決して負けていません。
「整った爽やかなマーチ」の裏で、若い感性が弾ける「おお、そうきたか!」と思わせる素晴らしい曲が次々と生まれているのです。
4. 令和の吹奏楽界をざわつかせた「怪しくポップ」な劇空間
サーカスハットマーチ / 奥本伴在(2022年課題曲Ⅳ)
近年、全国の中高生から圧倒的な支持を集め、「令和の奇作マーチ」として強烈な印象を残したのがこの曲です。
サーカス小屋(サーカスハット)の怪しげでコミカルな雰囲気をそのままマーチに落とし込んだ本作。スウィング感あふれるお洒落なリズム、あえて音程感を歪ませるようなコード展開、そしてコロコロと表情を変えるテンポと展開の早さ。
単に奇をてらうだけでなく、バンド全体を心地よくドライブさせる絶妙なオーケストレーションが光ります。「昔の癖強マーチ」にあったどこかドロっとした怪しさを、ポップで現代的な洗練されたセンスに見事昇華させており、「いやぁ……今の若手、いいっすねぇ~やりますねぇ!」と唸らざるを得ない名作です。
5. 可愛らしさの裏に潜む、緻密な緊張感とフック
トイズ・パレード / 平山雄一(2021年課題曲Ⅰ)
1995年生まれの若手・平山雄一氏が手掛けた、第30回朝日作曲賞受賞作。「おもちゃたちが愉快に歌っている」というコンセプトの可愛らしい楽曲ですが、その内部構造は極めて秀逸です。
楽しげな行進の途中で、突然p(ピアノ)まで音量が落ち、テンポが一気に緩む緊迫した展開が挿入されます。おもちゃの兵隊たちが急にネジを切らせたのか、あるいは真夜中の不穏な気配か……そうした物語を想像させる深い懐を持っています。
クラシックなマーチの様式美をしっかり押さえつつ、フックの効いた展開と緻密なスコアリングで聴き手を引き込む。「爽やか一発屋で終わらせない、若い職人技の光るセンス」に、思わずニヤリとしてしまいます。
結び:マーチという「小さなフレーム」だからこそ宿る美学
マーチ(行進曲)というジャンルは、形式や演奏時間(約3分前後)にある程度の制約が存在します。しかしだからこそ、その限られたフレームの中で作曲家たちが自身の美学や歪み、ユーモアをどう詰め込むかという「実験場」であり続けてきました。
昭和・平成の泥臭くも圧倒的なエネルギーを持った怪物マーチを愛でつつ、令和の新世代が魅せる粋で洗練された「癖」に拍手を送る。
「あの頃も最高だったが、今もやっぱり面白い。」
次にマーチを聴くときは、ぜひ彼らが楽譜に仕掛けた「愛すべき違和感」に耳を澄ませてみてください。
こちらの記事もぜひ!▶ポール・フォーシェ《吹奏楽のための交響曲》の正体
この記事の監修者
鈴木 憲道 音楽ライター/作詞家・作曲家・演奏家・音楽教育者
国公立大学の音楽学部で作曲を学ぶ。


